アズディンアライア (Azzedine Alaia)
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ボディコンシャス・モードの創始者として知られるチュニジア出身のデザイナー アズディン・アライア (Azzedine Alaia)のシグネチャーブランド。
1980年当時、クチュールの世界ではいわば人間が服に合わせる「まず洋服の造形ありき」の構築的なものが主流であったが、逆にアライアは服をぴったりと体にフィットさせ、女性の本来のボディラインを強調する「まず女性の裸体ありき」とも言うべきボディコンシャス・スーツを発表した。
控えめな色、シンプル造形と非常にミニマムな装いで、ボディラインをより際だたせるためにストレッチ素材を使ったボディコンシャス・スーツは、日本でも「ボディコン」の呼称で知られるように、世界中で大流行し1980年代を代表するスタイルとなった。
その後1990年代に入るとアライアはコレクションでの発表をやめ、アトリエを訪れた客にのみ販売する経営に転換。
2000年以降は80年代モードのリバイバルの風潮が高まり、これにあわせて再び注目を集めた。
1980年当時、クチュールの世界ではいわば人間が服に合わせる「まず洋服の造形ありき」の構築的なものが主流であったが、逆にアライアは服をぴったりと体にフィットさせ、女性の本来のボディラインを強調する「まず女性の裸体ありき」とも言うべきボディコンシャス・スーツを発表した。
控えめな色、シンプル造形と非常にミニマムな装いで、ボディラインをより際だたせるためにストレッチ素材を使ったボディコンシャス・スーツは、日本でも「ボディコン」の呼称で知られるように、世界中で大流行し1980年代を代表するスタイルとなった。
その後1990年代に入るとアライアはコレクションでの発表をやめ、アトリエを訪れた客にのみ販売する経営に転換。
2000年以降は80年代モードのリバイバルの風潮が高まり、これにあわせて再び注目を集めた。
歴史
1979年
チュニジア出身のデザイナーアズディン・アライア (Azzedine Alaia)のシグネチャーブランドとして設立。
1980年
初のコレクションを発表。女性の体のラインを際だたせるボディコンシャス・スーツは80年代のファッション界を席巻。日本でも「ボディコン」と呼ばれ、世界中で大ブームとなった。
1986年
マーメイドラインを発表。
1990年代
コレクションへの参加をやめ、経営路線を大きく転換する。マレー地区にある自宅兼アトリエを訪れた客にだけ商品を見せ、大量生産からも手を引いた。
2000年
プラダ (PRADA)グループ傘下に入る。
2007年
プラダグループから自社株を買い戻す。
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