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アズディン・アライア (Azzedine Alaia)

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1939年〜 (78歳)
自身の名を冠するシグネチャーブランド アズディンアライア (Azzedine Alaia)の創立者。またボディコンシャス・モードの創始者でもある。
1980年当時、クチュールの世界ではいわば人間が服に合わせる「まず洋服の造形ありき」の構築的なものが主流であったが、逆にアライアは服をぴったりと体にフィットさせ、女性の本来のボディラインを強調する「まず女性の裸体ありき」とも言うべきボディコンシャス・スーツを発表した。
控えめな色、シンプルな形でありながら、ボディラインをより際だたせるためにストレッチ素材を使ったボディコンシャス・スーツは、日本でも「ボディコン」の呼称で知られるように、世界中で大流行し1980年代を代表するスタイルとなった。
その後1990年代に入るとアライアはコレクションでの発表をやめ、アトリエを訪れた客にのみ販売する経営に転換。
2000年以降は80年代モードのリバイバルの風潮が高まり、これにあわせて再び注目を集めた。
歴史
1939年
チュニス(チュニジア)の小麦農家に生まれる。美術学校で彫刻を学び、休暇中には妹とともに洋裁店で仕上げの仕事を手伝っていた。
顧客の紹介によってディオールのコピー商品を作る仕事に就くかたわら洋裁を学びはじめる。
1957年
友人の紹介で本物のクリスチャンディオール (Christian Dior)で働くためパリに向かうが、戦時中だったパリでは外国人の雇用に問題があり、5日で解雇されてしまう。
その後は友人のティエリー・ミュグレーの仕事を手伝ったり、ギ・ラロッシュ工房でアシスタントとして働き、オートクチュールの技術を学ぶ。
1960年
ブレジュ伯爵夫人の家でベビーシッター兼仕立屋として住み込みで働き始める。
また、ロスチャイルド家やパリ社交界での人脈を作り、カスタムメイドした服の販売をはじめる。顧客の中にはハリウッド女優のグレタ・ガルボもいた。
1979年
自身の名を冠したシグネチャーブランドを設立。
1980年
初のコレクションを発表。女性の体のラインを際だたせるボディコンシャス・スーツは80年代のファッション界を席巻。日本でも「ボディコン」と呼ばれ、世界中で大ブームとなった。
1986年
マーメイドラインを発表。
1990年代
コレクションへの参加をやめ、経営路線を大きく転換する。マレー地区にある自宅兼アトリエを訪れた客にだけ商品を見せ、大量生産からも手を引いた。
2000年
プラダ (PRADA)グループ傘下に入る。
2007年
プラダグループから自社株を買い戻す。
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